夢録 
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(後編)    
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(前編)   
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14  無外流居兵道 範士九段 第十五代宗家 塩川寶祥照成 先生 
13  天然理心流 宮川清藏勇武 九代目宗家   × 無外流明思派 新名玉宗宗家 
(後編)
 
12  天然理心流 宮川清藏勇武 九代目宗家   × 無外流明思派 新名玉宗宗家 
(中編) 
   
11  天然理心流 宮川清藏勇武 九代目宗家   × 無外流明思派 新名玉宗宗家 
(前編)  
10  土方歳三 資料館 土方愛館長 
(後編)    
09  土方歳三 資料館 土方愛館長 
(前編) 
08  天然理心流 勇武館副会長 井上雅雄先生
(後編) 
07  天然理心流 勇武館副会長 井上雅雄先生
(前篇)  
06  天然理心流 宮川清藏勇武 九代目宗家
(後編)
   
05  天然理心流 宮川清藏勇武 九代目宗家
(前編)
04  新選組近藤勇 局長ご遺族 宮川豊治さん 
03   作家 島地勝彦先生 
02  無外流明思派 新名玉宗宗家
01 作家 北方謙三先生
 
 
   
 
 
 
   
HOME > 鵬玉会 > 夢録 > 四 新選組近藤勇局長ご遺族 宮川豊治さん


新撰組局長・近藤勇の肖像 ('国立国会図書館蔵 )

第4回の夢録は、新選組の近藤勇局長の生家、宮川家第十代当主 宮川豊治さん

無外流の使い手として有名な新選組三番隊組長斉藤一。
その新選組の局長であった近藤勇さんのご遺族として、
NHK
大河ドラマ「新選組!」にも紹介された、宮川豊さんにインタビューしました。

宮川さんは近藤勇さんの残した手紙や証言も研究されているお方。
秘蔵の話を元に、武士道の核心に迫りたいと思います。
(インタビュー 武田鵬玉)



宮川豊さん

宮川家第十代当主 新選組局長近藤勇から数えるなら五代目。お父様は「智正;ともまさ(諱であろうか)」と呼んだとのこと。
NHK
大河ドラマ「新選組!」にも出演され、板橋の刑場での近藤勇の「残念、無念」という思いを語られた。
88歳のご高齢に関わらず、矍鑠とされていたのは流石でした。





1) 宮川勇五郎さん 近藤勇を知るおじさんと

武田鵬玉
(以下、武田) 新選組の近藤勇局長のご生家である宮川家ですから、現存するまぎれもないご遺族なわけですよね。近藤勇局長のご遺族であることを否が応でも意識せざるを得ない環境だったと思いますが、意識されたあたりの話をお聞かせください。

   宮川家・・・新撰組局長近藤勇の生家。近藤勇は宮川勝五郎といった。天然理心流宗家の近藤家に養子に入り、近藤家を継ぐ形で、近藤勇を名乗った


宮川家第十代当主宮川豊智正さん
(以下宮川さん) 史跡を調べたり、残った資料を調べ出したのは随分後でした。でも新選組や近藤勇のことを考えるときに私には恵まれたことがあります。

武田 それは何ですか?

宮川さん 宮川勇五郎のことです。

武田 近藤勇局長の甥御さんで、いいなづけだった勇局長の忘れ形見のたまさんと結婚し、近藤家と天然理心流の五代目を継がれた方ですね?

宮川さん そうです。いいなづけだった、勇の娘のたまちゃんと結婚し、近藤姓になりました。私の家は勇五郎の実家ですから、勇五郎は毎日のように来ていました。勇五郎は生きている近藤勇をよく知っている人です。勇五郎は板橋で勇が処刑されるところもその目で見ています。 そんな風に、直接近藤勇と話をした人と話した人間で今生きているのは私くらいじゃないでしょうか。

武田 本で学んだ情報ではなく、生きた話だということですよね。近藤勇さんがいきなり現実的に感じられるようで、歴史の身近さに震えるような感じを受けました。今日はよろしくお願いいたします。


2)インタビューに何度も来た子母澤寛先生

宮川さん 勇五郎が亡くなったのは昭和
8年です。私が8つのときでした。83歳くらいでしょうか。その勇五郎が板橋で近藤勇とお会いしたのが17歳の頃。勇の子どものたまちゃんと結婚したのが25歳。


武田 どのような方だったんでしょう。

宮川さん 厳しい人でした。いつも道場に通う門人をじっと睨んでいました。新選組の生き残り、関係者にインタビューして回り、新選組三部作を書いた子母澤寛さんをご存知ですか?

 *新選組三部作・・・「新選組始末記」「新選組遺聞」「新選組物語」のこと。この「関係者にインタビューして証言を引きだし、小説化した」という設定を借りたのが、浅田次郎先生の「壬生義士伝」。


武田 はい。三部作も読みました。

宮川さん
 昭和
345年と、勇五郎のところには、あの子母澤氏が足繁く通ってきていました。「また梅谷(子母澤氏の本名)が来たよ」と言っていました。チョコレートなんかを持ってくるものですから、「変な甘いものを持ってきて、あんなもの食えねえよ」と言っていました(笑)。勇五郎の話については随分子母澤さんは聞いています。沖田総司の京都時代に彼女がいた話や、千駄ヶ谷の植木屋の離れで亡くなった話とかもね。


武田 随分歴史が現実的に感じられるエピソードですね。

宮川さん 慶応4425日、板橋の刑場で勇が処刑された話を子母澤氏が書いています。あれは実は勇五郎から聞いた話です。勇五郎は勇の墓がある龍源寺によく参りに言っていました。その龍源寺の住職に425日の話をするときには、いつも涙をこぼしていたそうです。子母澤氏の文章の淡々とした筆致からはわからないところですね。

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