第六回の夢録は、幕末の京で一世を風靡した天然理心流九代目宗家 (新選組の近藤勇局長は四代目宗家) の宮川清藏勇武先生のインタビュー後編をお届けします。
かつて作家浅田次郎先生も審査員をし、NHK大河ドラマ「新選組!」のキャストもゲスト出演した、 ひの新選組まつり。 その2009年の回のこと。 この夢録でインタビュアーをしている私、武田鵬玉は近藤勇役を拝命いたしました。 全国から集まったファン300人を率いて歩いたときには、近藤勇の興奮というものを感じたように思いました。
以来演武でもご一緒し、天然理心流宗家の宮川清藏勇武先生とはありがたいご縁ができました。 その宮川先生に今月はインタビュー。
近藤勇、土方歳三、沖田総司、井上源三郎の天然理心流と、 斉藤一の無外流は新選組以来ご縁が深い流派。 そういう意味では、この夢録でご紹介するのに、最もふさわしい方のお一人でいらっしゃるのではないかと思います。 内容が濃いため、前回の先月と今月の二回に分けてお届けします。 いよいよ核心に迫る後編です。(インタビュー 武田鵬玉)
天然理心流九代目宗家にして、新選組局長近藤勇の生家宮川家の方として見れば、まぎれもないご遺族。夢録四にご紹介した宮川豊治智正さんはお兄様にあたられます。 天然理心流勇武館館長でいらっしゃいます。 NHK大河ドラマ「新選組!」にも出演され、近藤勇、土方歳三、沖田総司らが修めた天然理心流について解説していらっしゃいました。
11)宮川先生、九代目宗家を継承 宮川清藏勇武先生(以下宮川先生) 平成三年四月に八代目加藤伊助先生が亡くなったあと、平成六年三鷹武道館の石川館長先生がこう言われました。 「三年経った。九代目を決めなければならない。加藤先生は次は宮川君にと言われていたが、どうだ?」 身に余る光栄でした。それだけじゃなく、天然理心流もあちこちでまとまりがなくなってきていました。何とかしなければ、という思いもありました。そこで九代目宗家を受けたんです。 武田鵬玉(以下武田) お恥ずかしい話ですが、無外流もあちこち乱立しました。そして、それぞれがそれぞれの理屈をお持ちです。 また、私が今も心の拠り所にしている大山倍達総裁の極真空手も分裂を繰り返しました。現代の武道においてはそういう分裂は仕方ないのかなあと思いますが、天然理心流はいかがでしたか。 宮川先生 確かに、そう簡単ではないのはどんな流派も同じで、自分は自分で、という方もいらっしゃいます。軽い気持ちで天然理心流をやっている方もいらっしゃいます。 そこで私は「それはそれで結構です。頑張って、天然理心流を絶やさないようにしてください」という立場でいきました。 武田 しかし、宮川先生は、新選組局長近藤勇の生家である宮川家の血を受け継いでいらっしゃいます。流派を継ぐことについては、第三者的に見ても重みがあることのように思います。 宮川先生 確かにそうでした。近藤勇の生家である宮川家の血を受け継いでいる私が天然理心流を背負うことは、ほかの方々と違って並々ならぬものがありました。新選組で必死に頑張った大おじ勇達が残したものをきちんと後世に伝えていかなければなりません。 武田 なるほど。 宮川先生 そこで新選組六番隊組長井上源三郎のご子孫である井上さんと一緒に天然理心流を守るためにこの勇武館を三年前に作りました。 12)武道をやってみたからこそわかる、古人の気持ち 武田 よくわかりました。ではその近藤勇と天然理心流についてお聞きしたいと思います。無外流の居合と私は出会い、学んでいく過程で、「ああ、そうなのか!」と感じることがあります。それは、技や所作の裏に隠れた、当時の武士の気持ちや心構えなんです。やってみて初めて身近にわかるような気がする、というようなことです。 宮川先生 そうですね、やってみてわかることがありますね。 武田 天然理心流はさらに特別かと思います。近藤勇のことをさらに身近に感じたり、その心を感じとれるようなことがあるのではないかと思いますが、いかがでしょうか。 宮川先生 それは武道を追及する人らしい質問ですね。確かにあります。 武田 そこは武道を学ぶ私たちだけが感じることができる、核心の部分です。実はそこをお伺いしたいと思い、今日は来ました。ぜひお聞かせください。 13)相討ち覚悟、命を賭ける近藤勇の車(しゃ)の構え 宮川先生 構えに最もそれを強く感じます。 武田 どんな構えでしょうか。 宮川先生 車(しゃ)の構えと言いますが、今で言えば脇構えです。命がけ、相討ち覚悟の構えです。 武田 切っ先で相手を制して近寄らせないのが普通ですよね。 宮川先生 そうなんです。ところが、この車の構えは左肩を出して相討ちを覚悟していることを伝える。相討ちの覚悟を構えで伝え、先(せん)の取り合いにおいては相討ちになるかもしれないが確実に相手の命をとるぞ、という気で相手を圧倒するわけです。鹿島新当流の教えに「身は深く与え、太刀は浅く残して、心はいつも懸りにて在り」という教えがあります。まさにそれに通じる構えです。 武田 確か天然理心流の流租近藤内蔵之助さんは、その鹿島新当流を学ばれたんですよね。 宮川先生 そうです。その近藤内蔵之助の天然理心流の表木刀五本の形には、この術の真髄が込められていて、太極心、神の技であると言っています。 武田 真剣を持って、そんな相打ち覚悟の構えで近藤勇が前に立っていたら怖かったでしょうね。 宮川先生 当時の京には猛者も多かったでしょう。新選組隊士でもときには相手から逃げたいという気持ちが起こったかもしれません。でも相討ち覚悟で気で相手を圧して、命がけで討って出たんでしょう。だからこそ、相手は気持ちで圧倒された。その差は大きかったんじゃないかと思います。