夢録 
20 新選組三番隊隊長 斎藤一直系ご子孫
藤田さん

(後編)    
19  新選組三番隊隊長 斎藤一直系ご子孫
藤田さん

(前編) 
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(後編)     
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(前編)  
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14  無外流居兵道 範士九段 第十五代宗家 塩川寶祥照成 先生 
13  天然理心流 宮川清藏勇武 九代目宗家   × 無外流明思派 新名玉宗宗家 
(後編)
 
  天然理心流 宮川清藏勇武 九代目宗家   × 無外流明思派 新名玉宗宗家 
(中編) 
   
11  天然理心流 宮川清藏勇武 九代目宗家   × 無外流明思派 新名玉宗宗家 
(前編)  
10  土方歳三 資料館 土方愛館長 
(後編)    
09  土方歳三 資料館 土方愛館長 
(前編) 
08  天然理心流 勇武館副会長 井上雅雄先生
(後編) 
07  天然理心流 勇武館副会長 井上雅雄先生
(前篇) 
06  天然理心流 宮川清藏勇武 九代目宗家
(後編)
   
05  天然理心流 宮川勇武清藏 九代目宗家
(前編)
04  新選組近藤勇 局長ご遺族 宮川豊治さん 
03   作家 島地勝彦先生 
02  無外流明思派 新名玉宗宗家
01 作家 北方謙三先生
 
 
   
 
 
 
   
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13)その後の新選組


晩年の井上泰助

井上先生 そうですね。井上家からはまだこの後の新選組に参加する人間が出ています.。
それは井上泰助とNHK「新選組!」で捨助のモデルになった松本捨助です。この両名は新選組二次募集から行っているんです。

武田 NHK大河ドラマ「新選組!」で、中村獅童さんが演じていらっしゃった軽妙な役どころですね。

井上先生 泰助は十一歳で新選組に入り、近藤勇の刀持ちを勤めています。近藤勇が馬上で肩を撃たれてからは、源三郎と一緒に六番隊に入っているんです。泰助が十二歳のときに鳥羽伏見の戦いが起こる。

武田 十二歳ですか?!

井上先生 その戦いで一月四日に戦死した源三郎の首と刀を持って日野まで帰ろうとしました。

武田 年だけ考えたら凄い子どもですね!

井上先生 本当にねえ。当時の子どもの精神は凄い。しかし、状況が持って帰れるようなものじゃなかったそうです。そこで近所のお寺の門前に穴を掘って埋めたと言います。

武田 それも凄いですね。十二歳なんですからね。

井上先生 ええ。さて、これが土方歳三の手紙、佐藤彦五郎の手紙です。なぜ新選組は負けたんだ、っていうことに答えているんですね。源三郎のお兄さん松五郎に送った手紙です。元込め銃だから、弾が飛ぶ距離が違うし、当たる確率が違う、と書かれています。鳥羽伏見では大砲と銃の戦いに変わっていたんでしょうね。

武田 しかし、この写真見ると、やはり修羅場をくぐったようなお顔をされていますね。

井上先生 面構えとでも言うんですかねえ。本当に。さて、新選組関係者についての後日談をお話しましょう。この写真を見てください。近藤勇の生家、宮川家の家です。


14)その後の近藤勇生家

武田 史跡として残してほしかったですね。

井上先生 今では残っていません。近藤勇の祖父(宮川源次郎)は、新田開発に参加し、地元でも有数の豪農となったのですが、近藤勇は板橋の刑場で処刑され、京の三条河原にさらし首になりました。結果、「罪人である」という意識を代々宮川家はもったんですね。その後、戦争が始まるときに「調布に飛行場を作るから土地を寄付しろ」と軍がやってきたそうです。

武田 寄付したんですか?

井上先生 ええ。それは宮川家の今のご当主宮川豊治さんが十六歳の頃のことだそうです。そこで2,120坪、7km×7kmの土地を寄付したんだそうです。

武田 7km×7km!とてつもない広さですね!

井上先生 近藤勇の生家だけはなんとか残せないか、と頼んだそうですが、「飛行機が着陸する際にこの家があると邪魔だ。壊せ」とい命令を持ってきたそうです。

武田 むむう。

井上先生 宮川家としては、「勇が国に迷惑をかけた、申し訳ない」と思ったようで、だから国に寄付したんでしょう。ところがまだ収まりません。

武田 また何かあったんですか?

井上先生 新宿から京王線に乗り、八王子に向かう途中に聖蹟桜ヶ丘という駅があります。そこに宮川家は山を持っていたそうです。また同じ人が来て「この山に天皇陛下の記念館を造ることに決まったので、山を寄付しろ」ということだったそうです。

武田 近藤勇の生家ということで、目をつけられていたということでしょうか。

井上先生 そうでしょうね。そこに旧多摩聖蹟記念館が作られたんです。普通そんな寄付ならどこかに「宮川家贈」とか書くでしょうが、どこにもそんな文字はありません。賊軍だ、という扱いが続いたんですかね?


15)井上先生と天然理心流


天然理心流九代目宗家、近藤勇の生家宮川家の宮川清三勇武先生と


武田 皆さんご苦労なさったんですね。では井上先生のお話をお聞かせください。そんな凄かった井上松五郎さん、源三郎さんをご先祖として意識されることも大きいと思いますが、先生が天然理心流と出会われたきっかけを教えていただけますか?

井上先生 宮川先生がうちに来られたんですよ。

武田 えー!近藤勇のご遺族が、井上源三郎のご遺族にお誘いをされたんですね?

井上先生 はい。「日野で天然理心流を教えたい」という志をお受けして、最初は四人くらいでスタートしました。

武田 ほんの小さなところからスタートしたんですね。

井上先生 ええ。私は十歳くらいから剣道をやっていたんです。

武田 井上源三郎さんのご子孫であるという意識はおありだったんでしょうか。

井上先生 私が剣道の試合に出るときに、いつも剣道の先生だった日野八坂神社の第三代目宮司 土淵英夫先生が「源三郎、がんばれよ!」とおっしゃるわけです。段々わかってきて、意識しだすとプレッシャーになりました。(笑)

武田 宮司さんはおくわしかったんですね。

井上先生 よくお調べになった方でした。一番最初に新選組の研究をされた方だと思います。




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