夢録 
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(後編)     
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(前編)  
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14  無外流居兵道 範士九段 第十五代宗家 塩川寶祥照成 先生 
13  天然理心流 宮川清藏勇武 九代目宗家   × 無外流明思派 新名玉宗宗家 
(後編)
 
12  天然理心流 宮川清藏勇武 九代目宗家   × 無外流明思派 新名玉宗宗家 
(中編) 
   
11  天然理心流 宮川清藏勇武 九代目宗家   × 無外流明思派 新名玉宗宗家 
(前編)  
10  土方歳三 資料館 土方愛館長 
(後編)    
09  土方歳三 資料館 土方愛館長 
(前編)
08  天然理心流 勇武館副会長 井上雅雄先生
(後編)  
07  天然理心流 勇武館副会長 井上雅雄先生 
(前編)
06  天然理心流 宮川清藏勇武 九代目宗家
(後編)
   
05  天然理心流 宮川勇武清藏 九代目宗家
(前編)
04  新選組近藤勇 局長ご遺族 宮川豊治さん 
03   作家 島地勝彦先生 
02  無外流明思派 新名玉宗宗家
01 作家 北方謙三先生
 
 
   
 
 
 
   
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4)京都前夜、天然理心流一派での序列は高くなかった

武田 宮川先生や井上先生からもお話をお伺いし、当時の資料や手紙も見せていただきました。驚くことがあります。京都に上がる前は失礼ながら後の新選組副長土方歳三さんの名前は出てきません。出てきても序列が非常に低いのがわかります。それが京に上がるにつれてだんだん序列があがる。京につく頃にはすでに存在感があり、そしてやがて押しも押されもせぬ新選組NO.2になる。これはリーダーシップの凄さがあったのではないかと思います。現代風に言えば相当仕事ができた、ということでしょうか。

土方さん 天然理心流では中極位目録までしかもらっていませんからね。免許までいっていません。普通は入門して中極位目録までは6年くらいかかったそうです。歳三さんの入門は安政六年、25歳のときと言われています。

武田 今なら「若くして始めた」と言えそうですが、当時で考えれば遅いほうですよね。
土方さん そこから29歳で上洛する前年の秋に中極位目録をもらっているんです。今から150年前の翌年に上京ですから、それ以上のところをもらうのには間に合わなかったのだろうと思います。

武田 京では仕事が待ってましたからね。しかし。普通は6年かかるところを3年弱でもらっっていたという点を考えれば、剣の技量は無視できないようにも思われますね。




5) 万延元年の武術英名録

土方さん 関東一円の剣客をリスト化した、万延元年の武術英名録にも歳三さんの名前は出てきていますね。

武田 それは私も調べて驚きました。浅田次郎先生ではありませんが、肩書き云々は置いておいても土方歳三さんの剣が認められていたのがわかりますね。

土方さん 諸説あるんですが、実はそれ以前の若い頃に武術を初めていた、それがなんらかの理由で途中でやめた、再度始めたのが25歳の頃であったのだろう、ということです。正式入門25歳、ということだけで見るとつじつまが合わないんです。その直後にある、
六所宮の奉納演武でも出ていますから。

武田 
現在の府中大國魂神社ですね

土方さん ええ。ですから剣を志したのは17,8歳くらいだと考えています。

武田 私たちが知らない土方歳三さんの青春時代が見えそうですね。


6) たくさん兄弟がいる、大きい家の末っ子

土方さん 剣を始めるときに矢竹を生家に植えているんです。この資料館の左前にもその矢竹があります。矢竹のように武士となって天下に名をあげん、と志をたてたんですね。

武田 その矢竹を見ることができる、当時の志を今も垣間見ることができるのは貴重ですね。

土方さん ところが、地元ではそう評判が高かったとか、天才児であったとか、ということではなかったんです。たくさん兄弟がいる、大きい家の末っ子です。みんなに可愛がられていたので甘えたところもあったかもしれません。きかん気が強くて、いたずらもたくさんし、のびのび育った、と伝わっています。

武田 今の話を聞けば、誰もが身近に感じるかもしれませんね。

土方さん そうですね。司馬遼太郎先生の本にも書いてありましたが、地元で語り継がれている話があります。石田散薬をご存知ですか?

武田 土方歳三さんの生家が製造、販売されていた薬ですね。


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