|
20 |
(後編) |
19 |
(前編) |
18 |
|
17 |
(後編) |
16 |
(前編) |
15 |
|
14 |
|
12 |
(中編) |
11 |
(前編) |
10 |
(後編) |
09 |
(前編) |
08 |
(後編) |
07 |
(前篇) |
06 |
(後編) |
05 |
(前編) |
04 |
|
03 |
|
02 |
|
01 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
HOME > 鵬玉会 > 夢録 > 六 天然理心流九代目宗家 近藤勇ご遺族 宮川清藏勇武清藏先生 > 宮川清藏勇武先生2
14)厳しい瞬間に覚悟を決めることができるようになる。
現代に通じる武道の稽古
武田 池田屋でも京でも、近藤勇局長以下、実証していますからね。
宮川先生 やはり、生きるか死ぬかの瞬間には、逃げ腰にならずに覚悟を決めることができれば勝ちにつながるのではないでしょうか。
武田 相討ちの覚悟を一瞬で決めたんですね。
宮川先生 現代社会でも、命をとられることはないかもしれませんが、それに匹敵するような厳しい局面が、どんな人にもあるでしょう。そんな厳しい瞬間にも、武道で日々生きるか死ぬかを想定して稽古していれば、瞬間で腹を据えることができるように思います。
武田 武道においては「殺してやる」と向かってくる相手と擬似で命のとりあいをする訓練をしているわけですからね。
宮川先生 仕事の上でも道が開けるのは、そうやって腹を決めたときかもしれませんね。その腹を決めて、相討ち覚悟で必死になるのが「誠」だとも言えるかもしれませんね。
武田 捨て身の覚悟、気で相手を圧する、というのが天然理心流の根幹であるということがよくわかりました。
15)新選組六番隊組長 井上源三郎再考
宮川先生 実は調べていき、検証していくと、なかなか語られませんが、天然理心流で強かったのは井上源三郎じゃないかと思うんです。
武田 それは新しい意見ですね。
宮川先生 というのも、お兄さんの松五郎と一緒に勇や歳三や沖田の十年前には免許皆伝だったんですね。
武田 そうなんですか?
宮川先生 勇は入門三か月で目録をとったんですが、そのときすでに源さん、源三郎は免許皆伝です。位から言えば、格の違いがあります。
武田 京都に行くときにはどういうニュアンスだったんでしょう。
宮川先生 京都に行ったにしても、いつも勇の横にひっそり寄り添い、しっかりと守っているイメージです。勇も歳三も沖田も後備えの源さんがいるから、容保公なんかと意気軒高に語れたんだと思います。支えがなければできないことです。小説では庭掃除をしたり、縫物をしたりしていますが、おそらくそんなことはしていないでしょう。大先生ですから。試衛館に年に何回かは行ったでしょうが、庭掃除をするなどはなかったはずです。勇からすれば、本来「井上先生」と呼ぶべきところですし、立場からすればそれは(沖田)総司の仕事です。
武田 なるほど。
宮川先生 ここからは推測ですが、それでも京に行ったのはなぜか。先代の周斎先生から「勇のことを頼む」大事な養子です、頼まれたんでしょう。周斎という大先生からのお願いですから「了解しました」と言ったんでしょう。勇を指導した立場の人ですし。勇と源三郎、勇と松五郎の関係は深かったんだと思います。
|