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HOME > 鵬玉会 > 夢録 > 十六 兼國先生 1 > 十六 兼國先生 2
5) 偶然の出会い、それは必然か
兼国先生 自分で言うのもおかしいですが、悪くない一振だと思いますね。これなら大丈夫だと思います。
武田 私が所有しているのは、十一代兼定の一振り、これは歴史的な意味からも試し切りなどできません。もう一振りは試し斬り用の昭和の刀。靖国刀匠です。次に欲しかったのは、無外流の大先輩、新選組の斉藤一が使っていたという助広、もしくは鬼神丸だったんです。
兼国先生 ほう。
武田 でも、そんな刀なら、手に入れたとしても、やはり歴史的な意味があって試し斬りで汚すことなどできない。
兼国先生 そうですね。
武田 先生の一振りを見つけて調べたところ、失礼ですが、その助広の濤乱刃を復刻させたら当代一だとどんなものにも書いてありました。お父様と親子で賞を総なめにしていらっしゃったことも知りました。ますますご縁を感じました。
兼国先生 ありがとうございます。
6) 現代に刀を作ることの意味
武田 一つお聞きしてよろしいでしょうか。
兼国先生 はい。
武田 現代においては人を斬ったりすることはありません。そんな時代に刀を作ることの意味をどうお考えでしょうか。
兼国先生 「刀を作る」ということは歴史的な意味がすごくあります。そのある時代に自分が関われた、ということがまず喜びです、誇りがありますよね。そもそも簡単になれるものではありませんから。
武田 なるほど。
兼国先生 だから、父から学んだことをなんとか継承したい、と思っています。
7) 「生き死に」と背中合わせになる
武田 私は武道歴だけで言えば40年近くあります。武道をずっとやってきて思うのは、「生き死に」に最も近いのは武道だということです。かつてサムライは、今日ひょっとしたら死ぬかもしれない、という生き死にと背中合わせで生きていたわけですよね。
兼国先生 そうですね。
武田 そんな時代に生きたメンタリティというのは、もっと真剣だったかもしれないし、いざというときの腹の座り方も違うかもしれません。今はそんな極限には生きていませんが、少なくとも武道の稽古の時間、特に一対一の試合の時間は「相手を殺してやる」とまで思っていたりするわけです。もちろん殺しはしませんが。(笑)
兼国先生 (笑)
武田 そうやって疑似ではあっても武道には生死が背中合わせであるのではないかと思います。そういう場面を経験し、精神を修養できるという大きな側面があるように思います。
兼国先生 はい。
武田 それを体験すれば、いつか人生の大きな瞬間、あるいはビジネスの瞬間でも「!どうしよう!?」というときに心がすっと腹が定まるような気がします。そんな訓練ができるのが武道のような気がします。
▲武芸八幡宮参道を案内してもらう
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8) 刀の基本は武器 だから美しい
兼国先生 そういう意味合いで言えば、刀は基本は武器です。それが骨になっていなかったらいけないと思います。美術という側面のみに走ってしまえば残らなかったでしょう。
武田 なるほど。命を奪うかもしれないものを精神込めて作ることで、究極の美にまで昇華するんでしょうね。
兼国先生 そうですね。
武田 「居合がどんなに美しくとも、基本は殺し合いの技術だ、というのを忘れたらただの踊りになる」と私どもの宗家が言いますが、それに同じものを感じますね。作る側と使う側の共通項でしょうか。
兼国先生 そうですね。
▲試し斬り稽古 刀は兼国
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